セックスには、なぜ「自分ではない誰か」が必要なのか。|なぜ私たちは、こんなにもセックスに振り回されるのか。【第3章/全5章】

opus no sex today self worth
なぜ私たちは、こんなにもセックスに振り回されるのか。|全5章
CHAPTER 03 / 05

セックスには、なぜ「自分ではない誰か」が必要なのか。

OPUS · NEWS & VOICE

オナニーなら、一人でできる。

自分の都合で始められる。

今日はやめておこうと思えば、やめられる。

そこには、自分以外の誰かの意思は存在しない。

でも、セックスは違う。

二人のセックスには、必ずもう一人いる。

当たり前のことなのに、考えてみるとこれはとても大きな違いだ。

自分がセックスしたいと思っているだけでは、セックスは成立しない。

セックスには「相手の気持ち」という、自分では決められないものがある

どれほど好きでも。

どれほどセックスしたくても。

相手が望んでいなければ、二人のセックスは始まらない。

そこには同意が必要になる。

そして同意は、一度得たらずっと続くものでもない。

昨日はセックスした。

だから今日もいい。

そんなふうにはならない。

同じ二人でも、昨日はしたかったけれど今日はしたくない、ということは普通に起こり得る。

セックスそのものには同意していても、すべての触れ方や行為に同意しているとは限らない。

途中で気持ちが変わることだってある。

つまり性的な同意は、

「この人なら何をしてもいい」という許可証ではない。

その瞬間、その相手、その触れ合いについて、二人の気持ちが重なって初めて成立する。

それは少し繊細で、とても人間らしいことだと思う。

opus choosing and being chosen
OPUS News & Voice|opus choosing and being chosen

昨日までセックスできなかった人と、今日はできることがある

逆のことも起きる。

知り合ったばかりの二人。

その日には、まだセックスする関係ではなかった。

何度か会う。

話す。

笑う。

少しずつ相手を知る。

好意が生まれる。

そしてある日、双方が「この人とセックスしたい」と思う。

昨日まで存在しなかったセックスが、今日は二人の選択肢になる。

ここでは便宜上、これを\*\*「獲得型のセックス」\*\*と呼んでみたい。

学術用語ではない。

けれど、人間のセックスを考えるとき、面白い特徴をよく表している。

この場合に得られたものは、本当に身体的な快感だけなのだろうか。

たぶん、それだけではない。

「この人も、私を選んだ」

という経験が重なっている。

「セックスしたい」と言われること自体が、心を動かす

少し照れくさいけれど、大切なところなので言葉にしてみる。

好きな人から、

「あなたとセックスしたい」

と思われること。

それ自体に、心を動かされる人がいる。

オーガズムはまだ起きていない。

身体に触れられてさえいない。

それでも、「ほかの誰かではなく、自分が求められた」ということが嬉しい。

だから逆に、好きな相手から性的に求められなくなったことを、深く寂しく感じる人もいる。

ここではセックスが、単なる身体的快感を越えている。

選ばれること。

求められること。

自分が誰かの欲望の対象になっていると知ること。

それらまでセックスの周辺に集まってくる。

opus consent yesterday not today
OPUS News & Voice|opus consent yesterday not today

だから、拒絶もまた心に触れる

相手が必要だということは、思いどおりにならない可能性も引き受けるということだ。

誘っても断られることがある。

好きになっても、同じ気持ちを返してもらえないことがある。

パートナーからセックスを求められなくなることもある。

頭では、

「今日は疲れているだけ」

「私の価値とは関係ない」

と分かっていても、心が少し傷つくことがある。

それも不思議ではない。

セックスに「選ばれる」という意味まで重なっている人にとって、性的な拒絶は、身体だけの問題ではなく感じられることがあるからだ。

もちろん、断る側が悪いわけではない。

セックスをしたくない気持ちも、したい気持ちと同じように尊重されていい。

だからこそ難しい。

誰も悪くないのに、寂しさだけが残ることがある。

オナニーにはないもの

ここまで来ると、第2章の問いに少し答えられる。

オナニーでは、自分の身体へ快感を与えることができる。

でも、自分を「選ぶ他者」をつくることはできない。

自分ではない手。

自分では予測しきれない触れ方。

相手の表情。

相手の体温。

そして、

「私は、この人と触れ合いたい」

という二つの意思が重なること。

セックスの快感には、身体の中だけではなく、二人の間に生まれるものもあるのかもしれない。

そう考えると、次の疑問が出てくる。

私たちが欲しいものは、本当に「セックス」という一つのものなのだろうか。

オーガズムが欲しい。

触れられたい。

求められたい。

愛されたい。

安心したい。

日常から離れたい。

これらを全部、私たちは便利に、

「セックスしたい」

と呼んでいるだけなのかもしれない。

次章では、その一言の中身を少しずつほどいてみたい。

次章|CHAPTER 04 / 05

私たちが欲しいのは、本当にセックスなのか。

「セックスしたい」は、答えではなく、問いの入口なのかもしれません。

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