変わったのは、
性欲だけ?
「最近、以前よりセックスしたい気がする」
ふと、そんなことを思う夜はありませんか。
30代になってから。
あるいは40代になってから。
昔よりも、自分の中にある性欲の輪郭がはっきりしてきた。
誰かのぬくもりが欲しい夜がある。
抱きしめられたい夜がある。
そして、とても素直に――セックスがしたい夜がある。
けれど、少し不思議です。
身体だけを考えるなら、なぜ「今」なのでしょう。
強くなったのでしょうか。
それとも。
変わったのは性欲ではなく、 その欲求を包んでいる人生のほうなのでしょうか。
ときどき考えます。
たった七文字の言葉です。
けれど、その奥には、とても七文字では収まらない時間が流れています。
今日は少しだけ、その時間を遡ってみます。
本当に、40代になると
性欲は強くなるの?
「40代になると性欲が強くなる」
そんな話を見かけることがあります。
けれど、女性の性欲は年齢だけで美しい曲線を描くほど単純ではないようです。
カラダには時間とともに変化が起きます。
けれど人間には、カラダだけでは説明できないものがあります。
だから少しだけ、時計を戻してみます。
未来を急ぐ理由など、なかった時間
10代、20代の頃。
友達と何時間でも話せた。
突然「今から会わない?」と言えた。
恋をすれば、それだけで一日が少し違って見えた。
まだ行ったことのない場所があり、 まだ知らない人がいて、 まだ経験したことのないことがたくさんあった。
明日には、何かが起こりそうだった。
来年には、もっと何かが起こりそうだった。
未来はずっと先まで続いていて、急ぐ理由などなかった。
もちろん、誰もが同じ日々を過ごしたわけではありません。
それでも、ひとつだけ言えることがあります。
あの頃と今では、性欲だけではなく、
性欲を取り囲む世界そのものが違う。
だとすれば。
昔と今の「セックスしたい」を、 同じ物差しで測ること自体が、 少し無理なのかもしれません。
変わったのは性欲より、
私を取り巻く毎日だった
私たちは、ある日突然、大人になるわけではありません。
気づかないほど静かに、暮らしの景色が変わっていきます。
よく会っていた友人が結婚する。
他の友人には子どもが生まれる。
仕事を任されるようになる。
遠くへ引っ越す人もいる。
そして自分にも、自分の生活ができていく。
それぞれの人生へ
帰っていっただけです。
それはきっと、喜ばしいことなのでしょう。
けれど夜になれば、部屋は静かです。
昔なら電話一本で会えた誰かにも、今は予定があります。
笑い声のあった夜が、 いつの間にか、一人で好きなスマホ動画を見る夜になっている。
自由になったはずなのに。
ときどき、その自由が妙に広く感じられる。
そんな夜があります。
性欲が強くなったのだろうか。
それとも、誰かのぬくもりがないことに、
気づくようになったのだろうか。
言葉にすれば別々です。
けれど私たちの心は、辞書ほど几帳面にはできていません。
人恋しさと、性欲との境界は、きっとおぼろげです。
どこまでが寂しさで、どこからが性欲なのか。
本人にだって、分からない夜があります。
もちろん、それでいいでしょうが、 30代・40代にかけて、 その取り残されたような気持ちを “性欲の高まり” と考えたくなるのでしょう。
知らなかった頃の私と、
知ってしまった今の私
セックスを知らなかった頃。
それは想像の中にありました。
好きな人とセックスすると、どんな気持ちなのだろう。
友人の話を聞いて、 ほんの少し取り残されたような気持ちになった人もいるでしょう。
反対に、 まだ自分には関係のない話だと思っていた人もいるでしょう。
けれど、知らなかったものは、 一度知ることで、より良いものを追いかけたくなるものです。
人の身体の温度を知る。
抱きしめられたときの安心感を知る。
幸福だった夜を知る。
少し悲しかった夜も知る。
思っていたほどではなかった夜も。
忘れたくない夜も。
経験とは、数の競争ではありません。
自分にとって何が心地よく、 何が心地よくないのかを、 少しずつ知っていくことなのでしょう。
できることと、したいことは違う。
出会い方を知らないわけではない。
その気になれば、誰かと会う方法もある。
けれど――
したいことは違う。
ただセックスができれば、それでいいわけではない。
言葉の選び方。
距離の縮め方。
触れるまでの時間。
自分をどう見てくれるのか。
そういうものまで含めて、 ひとつの夜になることを知っている。
セックスはしたい。
けれど、誰でもいいわけではない。
矛盾しているように見えて、少しも矛盾していません。
欲しいものが分からなかった頃より、
欲しいものが分かるようになった。
ただ、それだけなのかもしれません。
いつまでも「いつか」と
言ってはいられないと知る頃
時間には、音がありません。
昨日と今日の境にも、音はしません。
けれど、ふと昔の写真を見ると、 時間だけが確かにそこを通り過ぎたことに気づきます。
20年。
その数字に驚くことがあります。
10代、20代の頃には、未来はほとんど無尽蔵でした。
「いつか行こう」
「いつかやってみよう」
「いつか素敵な人が現れたら」
その「いつか」は、どこまでも先へ延ばすことができた。
けれど30代、40代になると、未来の見え方が少し変わります。
悲観する必要はありません。
人生はまだ続きます。
恋もできる。
旅にも行ける。
美しい服も着られる。
人を好きになることも、 誰かに抱かれることもできる。
ただ一つだけ。
永遠ではないことを、以前よりよく知っています。
身体も変わります。
鏡の中の自分も変わります。
そして、人生そのものにも、 いつか必ず夕暮れが訪れます。
それは少しずつ意識し始めるものでしょう。
咲き誇るバラが愛おしいのは、
その美しさが永遠ではないから。
――などと大それたことを言うつもりもありません。
終わりがあると知ったとき、
「いつか」は少しだけ頼りない言葉になります。
あのお店へ行ってみたかった。
あの国のストリートを歩いてみたかった。
思いっきり、恋をしてみたかった。
誰かに大切に抱かれてみたかった。
自分の身体がどんな喜びを知ることができるのか、 もう少し知ってみたかった。
そんな願いを、 いつまで「いつか」の箱にしまっておくのだろう。
「今、したい」に変わる。
もし30代、40代になって 「以前より性欲が強くなった」と感じることがあるのなら。
身体の中で何かが増えたから、だけではなく。
残されている時間を、自分のためにも使いたい。
そんな静かな意志が、 性欲という形を借りて姿を見せる夜もあるのではないでしょうか。
「セックスしたい」の
奥にあるもの
女性向けのプライベートサービスにいると、 「セックスしたい」という言葉を、 単純な欲望として聞くことができなくなります。
その七文字の向こうには、それぞれ違う人生があります。
人肌が恋しい。
プロの腕の中で、少しだけ力を抜きたい。
日常の肩書きを置いて、一人の女性に戻りたい。
ときめきたい。
自分の身体を、もう一度好きになってみたい。
あるいは何の物語もなく、
どれも、その人の気持ちです。
そこに優劣も、競争もありません。
きれいな理由を用意する必要もありません。
もしかすると、性欲は増えていないのかもしれません。
昔には昔の「したい」がありました。
今には、今の「したい」がある。
どちらが強いかなど、 本当はそれほど大切ではないのでしょう。
大切なのは、その声が聞こえたとき。
聞こえなかったふりをしないことなのかもしれません。


